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笹川流れ観光汽船

新潟県村上市の笹川流れ観光汽船では、遊覧船に乗ってカモメの餌付けをお楽しみいただる観光施設です。新鮮な魚介類を使用したスモークした魚や天日干しした干物のお土産もご購入いただけます。

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笹川流れカヤックセンター

カヤックからでしか見ることのできない景色を見つけに行きませんか。

笹川流れカヤックセンターでは、名勝天然記念物である笹川流れ(新潟県村上市)をカヤックで漕ぎ進むツアーを行っています。ここ笹川流れでは、美しい海に白い砂浜、浸食された岩々、年月の移ろいを感じさせる鍾乳洞など見事な風景に出会うことができます。​

自然
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さんぽく生業の里
さんぽく生業の里

当たり前に、自然に「生業」を受け継いできた人々の暮らしを、多くの方に、「来て、見て、体験」し、「思い出して欲しい」、「感じて欲しい」、そんな思いで「さんぽく生業の里」は設立されました。

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文化
歴史
交流の館 八幡
交流の館 八幡

心の交流を通して、お互いに誇りのもてる新しいふるさとを創造する。廃校になった中学校を改装し、体験交流の宿泊施設に。温泉もあり! 地元の食材を使った料理が食べられます。

体験
温泉宿
ミネラル工房
ミネラル工房

塩の本当の旨み』を引き出す為に、工房独自の製法にこだわった日本海100%の手造り塩。ミネラル工房の手造り塩を使用した加工品も販売しております。

販売
体験
見学
ミネラル工房
ミネラル工房
ミネラル工房
ミネラル工房
富樫酒つり具店(宝昌丸)
富樫酒つり具店(宝昌丸)

酒屋と釣具屋、おまけに釣船もやっているちょっと変わった組み合わせのお店です。店内には新潟の地酒、ビール・焼酎などのアルコール類、飲料類、パン類、菓子類などの生活食品、釣りコーナーには釣り用品、生エサ(イソメ、ジャリメなど)、冷凍エサ(オキアミ、アミコマセなど)、各種揃えております。

釣船
渡船
釣具
ソルト アンド カフェ 笹川流れ塩工房
ソルト アンド カフェ 笹川流れ塩工房

塩作りを見ながら、岩船産コシヒカリの塩むすびをパクリ!

青く透き通る目の前の海から海水をくみ上げ、薪をたいて作る、昔ながらの塩作りを見学できます!
※10名以上の場合は事前にご連絡ください。

販売
見学
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㈲中浜観光物産

・海水がきれいなこと
・海水から直接ポンプ取水していること
・ていねいに時間をかけて手作りしていること
・製塩所内がきちんと管理されていること
・価格も適正であること
・山北の天然木を使用していること
すべてが美味しさの秘訣です。

販売
見学〈要予約〉

新潟県山北中浜地区では、1945年ごろまでは「笹川流れ」の海水で塩をつくり自給自足の生活をしていました。その頃の漬物や塩引きサケは、色つやもよく大変うまかったそうです。

先代 佐藤寛は、1997年専売法が廃止され、誰でも自由に塩を作り販売することができるようになると、昔味わったおいしい塩の再現に取り組み、研究を重ねて「こだわりの塩」の精製に成功しました。
先代の塩づくりにかける思いを引き継ぎ、佐藤寛伝承の変わらぬ味を皆様にお届けします。

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たけよし丸
たけよし丸
釣り船
渡船

笹川流れ 桑川港で、釣り船と渡船の「たけよし丸」を運行しております。

釣り船 昭和丸
釣り船 昭和丸
釣り船
渡船

寝屋漁港で釣船を運航しています。近海の漁礁をルアーで攻める小型の第三十三昭和丸を所有しており季節や釣り物に合わせて遊漁船営業をしています。初心者の方はもちろんベテランの方も大歓迎。一名様からでもお気軽にお問合せください。

山北歴史

HISTORY of SANPOKU

歴史探訪

歴史探訪

灰の不思議な力

ここでは、昔から山から木を切り出し、暖をとり、煮炊きししていました。そんな日々の暮らしの中から生み出される「灰」に、いつに頃からか不思議な力を見つけ出し生活に利用してきました。たとえば、食物のわらび、栃の実などのあく抜きに利用したり、しな布を作るときに、木灰を入れてしなの木の皮を煮沸して繊維を取り出します。

灰の文化

新潟 山北 さんぽく かえろう山北
新潟 山北 さんぽく かえろう山北
新潟 山北 さんぽく かえろう山北

灰の文化はリサイクルの文化

江戸時代、家々のいろりやかまどから灰を集めてこれを染物屋に売る「灰屋」という商売があったそうです。灰屋とは、今でいう「リサイクル業者」ではないでしょうか。

ここでは、リサイクルは決して新しいものではなく、木を燃やし暖をとり、煮炊きし、そしてその灰を捨てることなく利用する当たり前の暮らしの中にあったのです。

灰の文化はコミュニケーションの文化

山北地区の旧家には必ずいろりがあります。テレビがなかった時代、いろりの周りに家族が集まり、食事をしたり、夜なべをしたり、いろりの灰に栗や餅を入れて焼いて、子供たちはそれをほおばりながら年寄りから昔話を聞いたりしたものでした。

いろりは、お互いの顔が見渡すことができ、コミュニケーションを取るのに誠に適しており、私たちは、人と人とのつながりを大切にする暮らしも「灰の文化」だと考えています。

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灰が生み出す、様々な産物はどれも素朴で、人にも自然にも優しい品々です。

山北に代々伝わる「灰の文化」。灰を利用した様々な食材、物の文化にふれる事ができます。

山熊田の人々に受け継がれた「生業」は、かつて日本全国にあった人々の暮らしであり、風景だったかもしれません。現代社会の中で失われた日本の元風景がここには存在し続けています。


決して、この「生業」にこだわり続けたのではなく、「ここの暮らしが好きだから。」、だから、当たり前に、自然に「生業」を受け継いできた人々の暮らしを、多くの方に、「来て、見て、体験」し、「思い出して欲しい」、「感じて欲しい」、そんな思いで「さんぽく生業の里」は設立されました。

新潟 山北 しな布
新潟 山北 赤カブ

しな布

しな布は、山北町の山熊田、雷集落で古くから織られていた古代織りの一種です。 しなの木の皮を長い時間かけて糸にし、それを丹念に織り上げるしな布には、素朴な手ざわりの中に遠い祖先の知恵が息づいています。
このしな布を作るときにも、灰は重要な役割を果たしています。木の皮から繊維を取り出すために水に木灰を入れて煮ます。
灰のアルカリ性溶液中で煮沸することにより、皮の不純物が可溶性となり、繊維が比較的容易に取り出せるようになります。また、しなの繊維も柔らかくなります。

赤カブ

赤カブ(温海カブ)は、伐採した山を山焼きする焼畑農法 で栽培されます。焼畑により虫がつきにくいため農薬の必要がなく、また灰にはカリウム等の栄養分が含まれ、化学肥料の必要もありません。赤カブは山焼きした畑でないと美味しくつくれず、また、山北町と隣の温海町以外の地域では上手く作れないようです。特徴として、根の形は偏円形で、地上部・地下部とも濃赤紫色で肉質は緻密で、漬物やナマスに向きます。最近では、無農薬で栽培されること、その栄養価などから健康食品として注目されています。
特に、甘酢漬けは適度な歯ごたえと、辛みが調和したおいしい漬物として好評です。

新潟 山北 笹巻
新潟 山北 酒 日本酒 日本国

笹巻(アク笹巻)

山北町の一般的に食べられるチマキで、地元では笹巻と呼ばれています。雑木を燃やしてできた灰で作った「灰汁」(地元では「あくみず」と呼んでいます。)に餅米を浸し、それを笹で巻き茹でて作ります。独特の風味と歯ざわりが最高です。普通のチマキより保存がきくようです。
灰はアルカリ性が雑菌を押さえる効果があるためだと思われます。

栃餅

栃もちは、山北町の家庭で良く食べられている食べ物のひとつです。栃の実は、そのままでは苦くて食べられません。
そこで「あくぬき」をしなくてはならないのです。はじめに栃の実の皮をむき、水に5~7日さらします。
次に、栃の実を2~3時間煮て最後に木灰を入れ5分くらい煮たら火を止め、さらに木灰を加えて2~3日そのままにしておきます。こうして、はじめて栃は食べられるものになるのです。あくの抜き方は、それぞれの家で若干違うようです。
又、灰であくを抜く食品には、ワラビ等があります。

実は、昔はお酒造りと灰とは深く関わっていたのです。というのも、お酒を造るときに最も大切とされているのが麹です。 造り酒屋さんでは「一こうじ二もと三もろみ」といって、良いお酒を造るためには、良い麹を作ることが大切なのだいわれてきました。
 さて、その良い麹をつくるためには良い種麹が必要となります。昔は、その種麹を造るときに灰が重要な役割を果たしていたのだそうです。灰の持つアルカリ性が有害微生物の繁殖を押さえ、また灰に含まれるカリウム、リンなどが麹カビの増殖を助けるのだそうです。器具や薬剤が無かった昔、灰の性質をうまく利用した先人たちの知恵には驚かされます。

マタギ文化

新潟 山北 さんぽく マタギ文化
新潟 山北 さんぽく マタギ文化
新潟 山北 さんぽく マタギ文化
新潟 山北 さんぽく マタギ文化

マタギ文化・熊まき

独特の信仰や倫理を持ち、「巻狩り」と呼ばれる集団で行う伝統的な猟法で熊などを獲るマタギ文化は、山熊田で続いています。秋から春先までが狩猟のシーズン。なかでも熊は特別で、山の神からの授かりものです。熊狩りは今でも女人禁制のほか、伝統風習や儀式も行われます。

新潟 山北 さんぽく マタギ文化

たくましい文化

山へ入ると男たちは野生を取り戻したかのような俊敏さで駆け巡り、捕った獲物は手柄の良し悪し関係なく、皆へ平等に分けられます。

人間の在り方の真髄を問う類稀なたくましい文化が、まだここには残っています。

新潟 山北 さんぽく マタギ文化
新潟 山北 さんぽく マタギ文化
新潟 山北 さんぽく マタギ文化
新潟 山北 さんぽく マタギ文化
新潟 山北 さんぽく 出羽街道

出羽街道

出羽街道

出羽街道は村上城下を起点にして北上し、庄内領鶴岡へ通じる街道です。途中、猿沢・塩野町を通り、蒲萄峠を越え、北中・小俣を経て庄内領へと続きます。村上の本庄氏の戦の記録にも度々登場していることから、古くから軍用道として使われ、村上と以北を結ぶ重要な道だったと考えられます。

現在では街道の大部分が舗装路に姿を変えていますが、蒲萄から大沢の間は途中幅の狭い道や石畳の道など、当時の道のまま、道路改良もされずに残っています。また、北中や小俣などの集落は宿場の雰囲気を色濃く残しています。

新潟 山北 さんぽく 出羽街道
新潟 山北 さんぽく 出羽街道
新潟 山北 さんぽく 出羽街道
新潟 山北 さんぽく 出羽街道 小俣
新潟 山北 さんぽく 出羽街道 小俣
新潟 山北 さんぽく 出羽街道 小俣

松尾芭蕉と出羽街道

俳聖、松尾芭蕉が門人・曽良を伴って行程六百里、百六十日間にわたる「奥の細道」紀行に旅立ったのは、元禄二年(一六八九年)三月二十七日。

 

江戸をたち、越後に入ったのは六月二十七日(現在の八月十二日)。その日、中村(現在の村上市北中)に一夜を宿したことが曽良の随行日記に記されています。

 

山形県の鼠ヶ関から中村への行程には、山間部の小名部に入り、堀切峠を越え小俣、中継、荒川、北黒川を通って中村に入った(出羽街道ルート)とういう説があります。

 

 

翌朝二人は大沢を通って難所の聞こえの高い蒲萄峠を越え、村上着いたのは午後四時近くであったといいます。

新潟 山北 さんぽく 出羽街道

戊辰戦争と山北

小俣の戦いは、慶応4年(1868年)、8月26日(旧暦)村上藩兵を含めた庄内藩軍約450名と官軍約400名の将兵達の死闘が午前11時から始まりました。

 

多くの死傷者を出しながら、官軍は総崩れとなって中継集落まで引き上げ、小俣集落53戸は庄内軍の放火により灰と化しました。蔵王堂付近には、当時の壕跡が多く見られます。

山形県との県境では、村上から退去した鳥居三十郎ら抗戦派藩士が庄内藩兵と合流し、羽越国境の鼠ヶ関で庄内藩兵と共同戦線をはり、地の利を生かした戦いで戊辰戦争終結まで新政府軍の庄内侵攻を防ぎました。

 

県境の中浜集落には新政府軍の犠牲者を葬った官軍塚が建っている。 

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